トップ » 写真・カメラ関連 » 写真との出会い

写真との出会い

「写真」との出逢いを簡単にまとめてみました。って別に興味ないですよね(笑)

1983.09 初めて自分専用のカメラを入手。
    ev20s  いやぁ。小学生にとっては結構感動物でした。126フィルムでしたが(笑) ストロボが不調ということで安く入手。分解して遊んでいたら、指がコンデンサーに接触。初のストロボ感電となりました(笑) 以後気をつけてます、とかい いながら先日22年ぶりに感電(笑) 次回は放電してから作業します・・・
1986.08 鉄道写真に目覚める。
  AEM-7家族と出かけたついでに写すのが普通だったんですが、鉄道撮影を目的に自力で出かけたのは初めて。コンパクトカメラでしたが、当時の自分にとってはベストショットでした。すっかりはまってしまい、現在に至ってます。
1988.03 初めてフォトレタッチに挑戦。
  Zeit Zs-staffZeit社のZ’s Staff というグラフィックソフトで、ビデオを静止画キャプチャし、加工して遊んでました。写真のデジタル化に興味を持ったのもこの頃です。お気に入りの写真を キャプチャして5インチフロッピーに収めてました。今でいう「フォトレタッチ」と「メディア書込サービス」に相当する作業ですね。まあ解像度が 320×200ピクセル、4096色なので実用性は全くありませんが(笑)
1988.08 初めて女性ポートレートに挑戦。
  as1カ メラ雑誌などの影響で、フレーミングを意識してポートレートを撮ったのはこの頃。今思えば作品的にはぱっとしませんでしたが、カメラライフにとって大きな ターニングポイントに。美人クラスメートのAさんには高校在学中大変お世話になりました(笑)
1990.04 高校でモノクロ現像・プリントに挑戦。
  phtcon「モノクロなんて」と思っていたが、これが実に奥が深く面白かった。当時情報技術研究部(俗に言うパソコン部)の部長であったが、写真部員の指導の下、時々暗室で遊ばせてもらった。酢酸の匂いが好きになったのもこの頃だった(笑)
1990.11 コニカ系の写真屋でミニラボと戯れる。
  mst進路も決まり、余裕ができたので初バイト。写真のミニラボ機(自家現像機)にはまる。お客があまり来ない店だったので、思う存分自分の写真をプリントした。サクラカラーの初代ミニラボ機だったらしく、当時としても超レアマシンだった。
1991.03 フジ系の写真屋に乗り換える。
  前勤めていた写真屋が暇すぎて閉店に(笑)急遽、近所の写真屋にとらば~ゆ(古)。フジフィルムチャンピオンPP1040というミニ ラボ機だったが、このマシンの色に惚れる。きちんと調整すると色に深みのある美しいプリントが可能。このころからフジカラー信者に。さらにリアラ信者に。
1991.11 いきなりスタジオ撮影。
  ただのバイトのつもりで入ったら、スタジオ写真まで撮る羽目に。七五三はともかく、成人式は緊張しました。だって年上のお姉さまばかりなんですもの(笑) 外国育ちの自分にとって、着物姿は刺激が強すぎました(笑)
1994.01 留学先の大学でフルカラースキャナと遊ぶ。
  デジタルコンテンツの課題で、HPの フルカラースキャナに出会う。ふたたび写真のデジタル化を考える。マイスキャナが欲しくなったのもこの頃でした。でも、使ってたノートパソコンはなんとモ ノクロでした(笑) カラー画像をモノクロ画面で見る日々が続きました。ちなみにプリンタはカラーでした(笑) エプソンMJ-700V2Cインクジェットプリンタは高画質フルカラーで画期的だった・・・
1994.01 初めて写真入りホームページを立ち上げる。
  ncsaデジタルコンテンツの課題で、写真入りウェブを作成する。アメリカ・イリノイ大学で開発されたWWWブラウザ「モザイク」とメモ帳で作成。作者たちも、こんなにWEBが流行るなんて思ってなかったようです。
1994.09 初めてデジタルスチルカメラで遊ぶ。
  qt100デジタルコンテンツの課題で、アップル Quicktake 100と出会う。35万画素、VGAが撮れる元祖?デジタルカメラだった。ただ液晶がないので、パソコンで見るまで全く分からないという難点も。画質はイマイチだったが、発想はすばらしかった。
1997.01 帰国後、画像処理屋を開業、貧乏になる。
  chcフジフィルムピクトログラフィーやコニカミノルタフォトキレートという写真プリンタに出逢い、デジタル画像処理ビジネスを考える。いきなり開業し、一気に貧乏になる。 そして貧乏のまま?現在に至ります(笑)
(写真はフォトキレートプリンタです。当時100万近かった…)

 

上部へスクロール